第1回 人生ビルドアップカフェ報告
第1回の人生ビルドアップカフェを、2月27日(水)18時30分より千代田区役所の9階にある、千代田図書館研修室で開催しました。
はじめてということで、参加者の方に議題を出していただき、その中からひとつの議題を選び、討論させていただきました。
議題は、『死について』。
この議題は他の対話カフェなどでもよく取り上げられる議題で、それだけ人々の関心の高いことがうかがえます。
対話概要
○ 近年、死について意識することが多くなってきている。それは年齢的なことが影響しているかもしれない。
○ 生老病死は原理。死は誰も逃れることができない。命は有限。年を重ねることで、若い頃には感じていなかった死に近づいているという実感がある。
○ 現代は医療技術の進歩などで長寿になっているが、長生きに対する二つの見解。
①肯 長生きをしたい。今は死にたくない。
②否 別に長生きはしたくない。今死んでも構わない。
↑
この違いをうむものは?
↓
①肯・いままで生きてきて、納得した生き方をしたと思えない。その思いがある
限り、今死ぬのは悔いが残る。
・残された時間、自分が納得できる生き方をしたい。死ぬときに納得して死に
たい。
・まだまだ体が動くので、何でもできる。残された時間を有効に使うこともで
きる。だから今は死にたくない。
②否・長生きする方が怖い。
・何人かの高齢の知人を見ていると、幸せな人が少ない。
↓
体が動かない。自分の自由にならない。
孤独を感じている。
希望がない。目標がない。
・仮に人が今死んでもよいと思えるのならば、そう思える理由とは。
人生での役目を果たしたと思うのでは。(例えば女性であれば子供を育て上
げた等)
疲れやすくなっている等の体の変化からくるのではないか。
全体的に意欲がなくなったのではないか。
近くに幸せに生きている人が少ないので、期待が持てないのではないか。
孤独になりたくないと考えるからではないか。
その他
○ 上記のように、「長生きをしたい」「長生きをしたくない」、両方の見解に共通するものは一体何か。
↓
いまを納得して生きていない (仮説)
生きていることに手ごたえがない (仮説)
「長生きをしたい」「長生きをしたくない」、一見正反対に思える意見も
その根底においては「いまを納得して生きていない」「生きていること
に手ごたえがない」といった思いがあるのではないか、という仮説。
○ 仮に「いまを納得して生きていない」「生きている手ごたえがない」というのが、死に対する恐れや、逆に生に対する諦観の原因だとするならば、ではどういう状態であればそれを脱することができるのか。
自分の能力を最大限発揮して生きる? 人や社会に何らかの貢献をしているという実感を持ちながら生きる?
↓
これを問いとして言語化すると、どのような言葉になるのか?
↓
「よりよく生きるにはどうしたらよいのか」 (仮説)
「いまを納得して生きていない」「生きている手ごたえがない」という状態を克服
するためには、「よりよく生きる」というのが仮説として挙がった。
よって、次回は引き続き「死について」とともに「よりよく生きる」について対話したいと思います。
※ 死に対する恐怖に関して、生物の持つ本能的な恐怖、根源的な恐怖は普遍的なものであり、今回の対話としては除外させていただきました。
※ 上記以外に、「命は誰に属するのか」「本人が自分の命を好き勝手にすることはできるのか」といった内容の対話もありましたが、これは今回の議題から外れてきますので、次回は議題にしません。別の機会があれば議題にしたいと思います。
次回のカフェは3月下旬ころを考えています。また「こくちーず」などを通じて告知させていただきますので、興味ある方は是非ご参加ください。